まとめてお返事(2) ― 2005年03月07日
takchaboさん:
影羽連盟というブログの名前、灰羽連盟を連想しますが、関係あります? さて、それはともかく、ブログなんかやるようになってネットワークなどの品 質が落ちた、なんてことは言われるようなことはないよう、気を引き締めてま いります。
rainbow7さん:
どうもご無沙汰しております。放火現場で警官と喋っていた草野です。
頻繁な更新が義務のようになって辛くないでしょうか
それほどプレッシャーは無いです。昔からこうやって書くのは好きですし。 昔、草の根BBSでSYSOPやってたころも書いてましたし。
使い易いblogとしての要件に上げていただいた項目のうち、UTF-8対応のこと について書いておきます。多言語対応が重要な課題としてあったのでUTF-8、 というかUnicode対応は避けにくいです。ASAHIネットは日本語以外が母国語、 というお客様が多いですし。
内部的にはUTF-8ですが、一部の端末に対応するために表示系でShift_JISなどへ 対応することも考えてますし、設定次第で変更できるようにはなっていますが、 それをどのように露出すべきか、結構悩ましいのです。3/3のテスト 公開の数日前まではShift_JISで表示するようにしていたのですが……。
ドメインのトップが404になる件、かなり適当ですが、とりあえずダミーを 作りました。
板間さん:
まだ仕様が確定しておらず、また、実装時期についても未定なことも ありますが、開発者の希望としての意見で書いていきます。
・HTML/CSSの直接編集は可能か
現時点ではユーザの方が編集することはできませんが、なんらかの 形で変更できるようにするつもりではいます。
・アクセス解析は搭載されるのか
なんらかの形で搭載したいのですが、アクセスログをどういう基準で 収集し、解析していくのか、悩ましいものがあります。
・ブログのインポート・エクスポート形式は? ※MovableType形式に対応しているとありがたいのですが。
まだ仕様を確定させておりませんが、参考にさせていただきます。
きゅうさん:
既存の www.asahi-net.or.jp や www.ne.jp などのサーバは、静的コンテンツ に特化したシステムになっているため、現状ではすぐに対応、というのはちょっ と難しいです。
朝日ネットのホームページを3/3にリニューアルしましたが、その際に www.asahi-net.or.jp ではなく asahi-net.jp というホスト名になったのは、 そのあたりも要因にあります。
とはいえ、コメント機能やトラックバックくらいは既存のホームページでも 実装できるのではないか、ということは意見としてありますし、そう考えて ますので、どうなるかはわかりません。
RSS対応はちょっと面倒です。 MAILPIAサービス の「RSSデータ生成」が近いところにありますので、ひょっとしたら、 とは思います。
温泉大好きさん:
ホームページの容量は最近は100MBだと多い、ってほどでも無いでしょうね。 増やすことができれば良いのですが、どうでしょう>ストレージ担当者
また、スパムブロックのインターフェイスの負荷の問題についてもご迷惑を かけております。担当者も開発元といろいろやりとりをしておりますが、 なんとか改善していきます。
萌絵コさん:
ブクログの紹介ありがとうございます。連想するのは、増井さんの 本棚.orgです。
音ログもそうですが、本や音楽といったモノへの評価を横断的に チェックできるというのは面白いですね。最近の流行り言葉である フォークソノミーも、そういったシステムの延長にあるのでしょうね。
昔話(1) ― 2005年03月10日
私個人の経験の話をちょっとしてみます。最初にコンピュータのネットワーク に触れたのは大学に入学した1989年、あるいはその翌年の1990年ごろだったと 記憶してます。
そのきっかけの一つは当時使っていたX68000というパソコン用のフリーソフト、 PDSなどを入手するためでした。大学に入って参加したコンピュータサークル の部屋から電話をかけ、いくつかの草の根BBSをめぐっていました。また、 私自身が「アニメおたく」だったため、サークルの先輩が運営していた アニメ専門の草の根BBS局にも入りびたるようになりました。
もう一つには、大学の教育用計算機センターのコンピュータシステムの上で展 開されていた独自のBBSシステムです。そのシステムの元は前述とは別のサー クルの先輩が作ったものだったのですが、そのBBSシステムでは種々雑多な話 題が展開されていました。また今のインターネットの前進とも言える junet と呼ばれていた国内のネットワークで流通していた fj ニュースグループへの 窓口もありました。
教育用計算機センターでは「指導員」という制度があり、コンピュータにある 程度詳しい学生ボランティアがセンターの部屋に交代で詰め、センター利用者 の学生からやってくる様々な質問などに対応していました。そこでは一般利用 者よりもさらにディープなネットワークの世界や、UNIXの世界を垣間見ること も出来たのです。これは、今の仕事につながる基礎になっているかもしれませ ん。
そういった塩梅で、「パソコン通信」と「インターネット」にほぼ同時期に触 れることになりました。この二つのネットワークは当時は別の世界でしたが、 その後の「商用インターネット」と呼ばれるようなサービスが始まり、相互の 接続がはじまって起こった混乱の際には双方の立場から眺めることとなります。
「マッドサイエンティストの手帳」公開。そしてバーチャル田んぼ ― 2005年03月10日
SF作家である堀晃さんの マッドサイエンティストの手帳がアサブロで 公開されました。
ところで堀さんが先日朝日ネットに来社され、このブログについての 打ち合わせを行ったのですが、その時の会話で堀さんの生まれである 兵庫県の龍野の話が出てきました。
その時私が龍野で思い出したのが 「バーチャル田んぼ」です。 私が朝日ネットに入社したばかり1996年、このプロジェクトの手伝いをしました。
このプロジェクトは稲を植えてから、その成長までをインターネットで中継し、 そして最後にその稲で日本酒を作って楽しむ、というものです。
私が担当したのは機材やサーバの準備です。CompaqのPCにレーザー5で買ってきた LINUX+JE4 をインストールし、カシオのデジカメであるQV-10Aを接続します。 そしてqvplayで 写真を定期的に吸い出します。
その機材を田んぼに面した窓際に置いて、カメラを田んぼに向けます。 そして定期的にダイアルアップを自動実行させてインターネットに接続し、 その写真をASAHIネットの用意したウェブサーバに送りこむようにしました。
メンテナンスする時はダイアルアップしてくる時間をみはからって東京から龍 野のPCへリモートログインし、cronを止めてダイアルアップを切断するプロセ スを止める、なんてアクロバット的なことをやっていました。
今であればライブカメラをFTTH経由で、ということが容易にできますが、 当時は低額な定額接続などありませんでした。 1996年というとつい最近のことのように思うのですが、もう10年近く経つのですね。
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