Mapletown Network 閲覧復活2015年01月02日

あけましておめでとうございます。

さて、Mapletown Network というアニメーション専門のパソコン通信のホスト局がありました。

「パソコン通信」というのは今のようにインターネットが一般の人にも解放される前に存在していた仕組みで、電話とモデムという装置を使ってパソコンを特定の場所(ホスト局)に接続すると「電子掲示板」などを読み書きできるというものです。

パソコンの話題なら◯◯に接続して情報交換、ゲームの話題なら△△に、というように、話題や人、場所によって接続する場所を変えることが普通でした。あるいは、NIFTY-ServeやPC-VAN、ASAHIネットなど、大手のパソコン通信サービスに接続して特定の「フォーラム」「SIG」「会議室」という話題ごとのグループに参加する、という形態もありました。

今のように通信代金は定額制ではなく、また、パソコン通信のホスト局への接続も大手の商用サービスの場合などは1分10円といった費用が必要でした。

そんな中でも無料で個人やそれに準じた組織が運営している「草の根BBS」などといった呼び方をされるパソコン通信のホスト局が無数に存在していました。

1986年、大手かつ最初期のパソコン通信局であるアスキーネットが最初の実験運用を終了するタイミングで、アニメについての話題をでできる場が欲しい、という会員のうちの一人の手により「Mapletown Network」というサービスが作られました。1986年10月のことです。

最初はPC-9801Fという機械の上でN88-BASIC(86)というプログラミング言語で作られたシステムの上で、その後、MS-DOS 上で Turbo-C++ で作られた擬似マルチタスクシステムを使ったシステムに書き直されました。その後、システムは MINIX、Coherent、BSD/OS、Debian、Ubuntu と移植されていきます。運営者も代替わりし、1992年、前任者が大学の卒業、就職に伴って引退したため、4代目SysOp.として私が引き継ぎました。1996年には後任者に交代しました。

Mapletown Networkは最大手のNIFTY-ServeのFANIMEや、PC-VANのアニメSIG、東京BBSなどに比べたら小さいものの、草の根BBSの中では比較的規模が大きなものになり、最大で7000人くらいの会員にまで到達しました。アニメ専門ということで、アニメファンだけでなく、制作に携わる方も利用されており、濃い話題も展開されました。アニメの作品タイトルごとの「ボード」が作られ、最大で272個のボードに別れて話題が展開されました。

1994年には(株)インターネットイニシアティブのダイアルアップによるUUCP接続サービスを始めたのを機会にインターネットへ接続しました。まだメールがやりとりできる程度のことしかできませんでしがその後、NetNews形式による記事の読み書きをできるようにしたり、設置場所に引かれた専用線に相乗りする形でTELNETによる接続もサポートするようになりました。

ただ、90年代後半くらいからはインターネットへ直接接続する個人も増え始め、パソコン通信は衰退を始めます。2000年問題をきっかけにするなどして、それまで運用されていた多くのパソコン通信の局はほぼ消滅します (ちなみにASAHIネットはインターネット接続業がメインになりましたが、今でもパソコン通信当時の会議室が利用できます)。

この Mapletown Network も2000年前後からは細々と動かし続けられてきました。しかし2005年、ハードディスクのトラブルにより2001年から2005年の記事がロストし、サービスを停止してしまいました。Internet Archiveなどを利用してある程度は2001年以後の記事もサルベージはできていましたが、私自身が多忙であったこともあり、復活には至りませんでした。

しかしこのまま消えてしまうのはもったいないので、とりあえず閲覧のみだけですが公開することにしました。Web経由でブラウザから当時の記事を読むことができます。まだテスト段階ということもあり、簡易認証をかけてありますが、誰でもアクセスできます。

Mapletown Network

どのようなボード(会議室)があったのかはこちらからご覧いただけます。

そのうち、当時のアカウントでのアクセス、読み書きなどもできるようにする予定ですが、4月以降になると思います、

昔話(5)2012年08月29日

の続き。

PC-6001 から離れつつもマイコン(パソコン)には相変わらず興味を持ち続け、高校進学時に部活動として「数学研究同好会」に参加。「数学研究同好会」というと数学好きな人が集まるイメージを持つと思いますが、同好会内サークルとして5〜10人だったかはマイコンサークル(分科会だったかそんな感じ)がありました。私はそちらへの参加を希望し、受理されました。

ということで高校時代はマイコンの部活動。といっても高校にある機械は PC-8001 と、そのころで既に古くなっていた機種。私の持ってる PC-6001 よりも古かった。それでも学校の中でマイコン使って遊べたのは楽しかった。顧問の英語の先生には良くしていただいて、職員室の横にあったコンピュータ室に入ってのマイコンを使った仕事の手伝いをしたり、先生の自宅に伺って一太郎を使う作業を手伝ったりも。

特に面白かったのは文化祭。文字しか印字できないプリンタでキャラクターグラフィックを印字して展示とかしていました。

さて、高校1年の秋、立ち読みした月刊マイコンの記事で X68000 の発表に触れ、衝撃を受けます。

昔話(4)2012年08月24日

の続き。

そんなわけで PC-6001 を手に入れ、プログラムを作り始めました。PC-6001 は ROMカートリッジやカセットテープで市販のソフトもそれなりに供給されていたのですが、小遣いがあるわけでもなく、もっぱらマイコン雑誌のプログラムを入力するのがメインでした。マイコンBASICマガジンのハンバーガー・ショップ (動画)で遊んだのは良く覚えています。

入力するだけでは飽き足らず、自分でもプログラムを作りました。BASICのみだとどうしても速度が足りないため、「マシン語」を紙と鉛筆を使ってハンドアセンブルでZ80のコードに変換し、入力もしました。グラフィックエディタが欲しくて、自作しました。画面に十字カーソルを表示し、それをキーボードのカーソルキーで操作してドットを打ったり、線を描いたりし、それをカセットテープに保存したりしました。

「拡張BASICカートリッジ」「ボイスシンセサイザー」あたりも非常に憧れたのですが、店頭で触るのがせいぜいでした。PC-6001mkII、SR、6601、6601SR など、後継機種が出るに従い、自分の機種の非力さを実感し、しばらくは触らない時期が続きました。

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