Wake Up, Girls! のこと2015年04月05日

最近、Wake Up, Girls!というアニメおよび声優ユニットを追っかけてます。

元からアニメや声優さんが好きで、インターネットにはまるきっかけとなったのもそっち方面です。

アニメ自体は昨年の3月までの放映だったのですが、アニメのためにオーディションで集められた声優さんの同名のユニットのイベントに偶然に近い形で参加した結果、今になって熱心におっかけるようになってしまいました。

イベントのレポートなどについても気が向いたら書いてるのですが、これについてははてなブログのほうに投稿しています。

また、以前、ASAHIネットの個人ホームページサービスを利用して運用していたAnime Resource ListをSemantic MediaWikiというシステムを用いて再始動することにしました。URLはarl.jpです。主にWake Up, Girls!のことが中心ですが、少しずつ広げることができましたら。

Mapletown Network 閲覧復活2015年01月02日

あけましておめでとうございます。

さて、Mapletown Network というアニメーション専門のパソコン通信のホスト局がありました。

「パソコン通信」というのは今のようにインターネットが一般の人にも解放される前に存在していた仕組みで、電話とモデムという装置を使ってパソコンを特定の場所(ホスト局)に接続すると「電子掲示板」などを読み書きできるというものです。

パソコンの話題なら◯◯に接続して情報交換、ゲームの話題なら△△に、というように、話題や人、場所によって接続する場所を変えることが普通でした。あるいは、NIFTY-ServeやPC-VAN、ASAHIネットなど、大手のパソコン通信サービスに接続して特定の「フォーラム」「SIG」「会議室」という話題ごとのグループに参加する、という形態もありました。

今のように通信代金は定額制ではなく、また、パソコン通信のホスト局への接続も大手の商用サービスの場合などは1分10円といった費用が必要でした。

そんな中でも無料で個人やそれに準じた組織が運営している「草の根BBS」などといった呼び方をされるパソコン通信のホスト局が無数に存在していました。

1986年、大手かつ最初期のパソコン通信局であるアスキーネットが最初の実験運用を終了するタイミングで、アニメについての話題をでできる場が欲しい、という会員のうちの一人の手により「Mapletown Network」というサービスが作られました。1986年10月のことです。

最初はPC-9801Fという機械の上でN88-BASIC(86)というプログラミング言語で作られたシステムの上で、その後、MS-DOS 上で Turbo-C++ で作られた擬似マルチタスクシステムを使ったシステムに書き直されました。その後、システムは MINIX、Coherent、BSD/OS、Debian、Ubuntu と移植されていきます。運営者も代替わりし、1992年、前任者が大学の卒業、就職に伴って引退したため、4代目SysOp.として私が引き継ぎました。1996年には後任者に交代しました。

Mapletown Networkは最大手のNIFTY-ServeのFANIMEや、PC-VANのアニメSIG、東京BBSなどに比べたら小さいものの、草の根BBSの中では比較的規模が大きなものになり、最大で7000人くらいの会員にまで到達しました。アニメ専門ということで、アニメファンだけでなく、制作に携わる方も利用されており、濃い話題も展開されました。アニメの作品タイトルごとの「ボード」が作られ、最大で272個のボードに別れて話題が展開されました。

1994年には(株)インターネットイニシアティブのダイアルアップによるUUCP接続サービスを始めたのを機会にインターネットへ接続しました。まだメールがやりとりできる程度のことしかできませんでしがその後、NetNews形式による記事の読み書きをできるようにしたり、設置場所に引かれた専用線に相乗りする形でTELNETによる接続もサポートするようになりました。

ただ、90年代後半くらいからはインターネットへ直接接続する個人も増え始め、パソコン通信は衰退を始めます。2000年問題をきっかけにするなどして、それまで運用されていた多くのパソコン通信の局はほぼ消滅します (ちなみにASAHIネットはインターネット接続業がメインになりましたが、今でもパソコン通信当時の会議室が利用できます)。

この Mapletown Network も2000年前後からは細々と動かし続けられてきました。しかし2005年、ハードディスクのトラブルにより2001年から2005年の記事がロストし、サービスを停止してしまいました。Internet Archiveなどを利用してある程度は2001年以後の記事もサルベージはできていましたが、私自身が多忙であったこともあり、復活には至りませんでした。

しかしこのまま消えてしまうのはもったいないので、とりあえず閲覧のみだけですが公開することにしました。Web経由でブラウザから当時の記事を読むことができます。まだテスト段階ということもあり、簡易認証をかけてありますが、誰でもアクセスできます。

Mapletown Network

どのようなボード(会議室)があったのかはこちらからご覧いただけます。

そのうち、当時のアカウントでのアクセス、読み書きなどもできるようにする予定ですが、4月以降になると思います、

『芋川椋三玄関番の巻』は日本初ではない?2013年07月09日

前の記事に書いた、最古の国産のテレビアニメと思われる『もぐらのアバンチュール』のテレビ欄への記載記録が確認されたこと、また、そのフィルムが見つかった、という報道から私が関連して気になったのは『芋川椋三玄関番の巻』である。

この作品、Wikipedia では『芋川椋三玄関番の巻』と『芋川椋三玄関番之巻』の2つのページが併存してしまっているという問題があった。どうやらフィルムなどが残ってないらしいので作品名の正確な表記がわからないのであろう。これはどちらかに統合するのが妥当だろうけど、そうした場合にはどちらを残すべきなのか。作品そのものは残ってなくとも、この作品に言及した一番古い資料、あるいは関係者の証言があれば、それが参考になるだろうと考えた。

手元にあった『アニメポケットデータ2000』『日本アニメーション映画史』 『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』を調べると「之」ではなく「の」の表記が使われている。他にも『沖縄キリスト教短期大学紀要』の下川凹天について論文からの抜粋でも「の」が使われていた。そこで、「の」に統合するのが妥当だろうと考えて統合を提案し、進めることとした

そうしたらコメントが付き、『芋川椋三玄関番の巻』は日本初のアニメ映画ではない、とのこと。驚いて、そのことについて触れたresearch noteを読んでみた。なるほど、これは妥当かもしれないとは思ったのだが、日本語の文章を英語で参照して論じているので、参照している資料の原本を改めて確認してみないと理解が危ういと思い、図書館等へ通うこととした。(たぶん続く)

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