『芋川椋三玄関番の巻』は日本初ではない? ― 2013年07月09日
前の記事に書いた、最古の国産のテレビアニメと思われる『もぐらのアバンチュール』のテレビ欄への記載記録が確認されたこと、また、そのフィルムが見つかった、という報道から私が関連して気になったのは『芋川椋三玄関番の巻』である。
この作品、Wikipedia では『芋川椋三玄関番の巻』と『芋川椋三玄関番之巻』の2つのページが併存してしまっているという問題があった。どうやらフィルムなどが残ってないらしいので作品名の正確な表記がわからないのであろう。これはどちらかに統合するのが妥当だろうけど、そうした場合にはどちらを残すべきなのか。作品そのものは残ってなくとも、この作品に言及した一番古い資料、あるいは関係者の証言があれば、それが参考になるだろうと考えた。
手元にあった『アニメポケットデータ2000』『日本アニメーション映画史』 『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』を調べると「之」ではなく「の」の表記が使われている。他にも『沖縄キリスト教短期大学紀要』の下川凹天について論文からの抜粋でも「の」が使われていた。そこで、「の」に統合するのが妥当だろうと考えて統合を提案し、進めることとした。
そうしたらコメントが付き、『芋川椋三玄関番の巻』は日本初のアニメ映画ではない、とのこと。驚いて、そのことについて触れたresearch noteを読んでみた。なるほど、これは妥当かもしれないとは思ったのだが、日本語の文章を英語で参照して論じているので、参照している資料の原本を改めて確認してみないと理解が危ういと思い、図書館等へ通うこととした。(たぶん続く)
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