おととしの冬2008年10月24日

おととしの冬、試しに始めたskypeで実家とつないだ時、なにやら不安気な雰囲気の中、母のおなかの調子が悪いとの知らせをうけた。そして、その直後に帰省したところ、「大事な話があるんだけど」と、両親から改まって話を聞かされた。腫瘍が腹膜と乳房に見つかったという内容だ。かなり進行してるとのこと。いやな予感がしていたので、ああやっぱり、というところではあった。そして一緒に見た紅白で流れていた「千の風になって」を聞いたとき、若干居心地が悪かった。

東京に戻り、ネット等でいろいろ調べた。怪しい情報も見た。わかったのは、よくわからないということだった。なんとなく気持ちがふさぎこむような日も増え、何かする気が起こらなくなった。でも、母を悲しませてはならないという気持ちは私を支えた。

そしてしばらくして気の合う相手と出会うことができ、心が軽くなった。母の調子も見た目にはほぼ健常人。ふつうに暮らしていた。最初のころは長くは持たないと覚悟していただけに、それだけで嬉しかった。

私のほうの話はすすみ、私の実家の方に奥さん(予定)とご両親が来てくださり、食事会となった。それも無事済み、母は今年の結婚式を楽しみにしてた。回復は特にはなかったが、幸いにして悪化もなかった。

結婚式は無事に執り行われた。母が席を立って挨拶して回ったりすることはなかったのは体が辛かったからだろうか。私は母にデジカメとケースをプレゼントした。たいそう喜んでくれた。

一ヶ月ほど前、腸閉塞で入院したと聞いた。しばらくして、市民病院から緩和ケアのある病院へ転院した。食事はできなくなっていたがなんとか歩き回ることもできた。10月になってemobileとEeePCと、ワンセグプレイヤーを送り、ビデオチャットもした。海を見にちょっと遠出もしたようだ。

今週の月曜、skype で会話もできた。調子が悪いという話を聞いたのでいつ見舞いに行こうかと悩んでいたら、妹から涙声の電話。昏睡状態にあったらしい。どうするか悩んで鹿児島行きを決めたのは火曜の朝。切符を取り、病院へ直行。何とか意志疎通はできたような気はする。

水曜に見舞うと若干調子は悪くなっていた。「おばあちゃんをよろしく」という言葉を聞いた。ここでいう「おばあちゃん」は実家で同居している母の母だ。

そして木曜。会話はできなかったが、認識はするようだった。夜は更けて深夜、目を開いたまま、息が荒くなり、吠えるような呼吸が続いた。先生からは今夜がヤマだという話を聞き、泊まりこむことにした。父はしばらく前から泊まりこみを続けていたが、スペースの関係上、父以外は実家に戻っていたのだったが。

24時をまわってしばらくして00時42分ごろ、荒呼吸は収まり、水が喉を流れていく音がした。すぐさまナースコールをし、私は部屋を飛び出し、明日の仕事にそなえて控え室で休んでいた妹を起こし、母の足をマッサージすべく椅子を探しまわっていた叔父(母の弟)を探し出して部屋に呼びこんだ。部屋に戻ったら目を閉じていた。おばあちゃんが看取っていた。父もいた。

しばらくして当直の先生が来た。10月24日午前00時48分、その生涯を終えたことが確認された。ありがとう、お母さん。お疲れさま。

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