秘密基地 ― 2005年04月11日
防空壕跡らしき洞窟で探検遊びをしていた中学生が一酸化中毒で亡くなった。 事故の舞台となった場所は私の出身地の近所だ。言われてみれば、防空壕の ようなものが良くみかけた記憶がある。平地が狭く、山がすぐに迫っている ため、住宅地のすぐそばに崖があるのだ。私の実家もそのような台地の上に あり、その台地に登っていく道路から崖をみやると、防空壕跡らしきものを 目にすることはあった。
ニュースを見ていると悲しみにくれる生徒たちの姿が映るのだが、それを見て 思い出すのは25年前のほぼ同じ日に起きた事故のことだ。私の親友だったD君 が、なにかのきっかけに学校の廊下で転び、脳内出血で亡くなったのだ。当時、 小学4年だった。
私が枕崎の小学校に通っていた1年生から3年まで、私はそのD君と、もう一人 の親友の3人組でいつもつるんで遊んでいた。田んぼで鮒や虫を取ったり、林 でカブトムシを取ったり、材木置き場の材木やタイヤの中、くさむらの中に作っ た秘密基地を拠点にしたりもしていた。また、崩れやすいシラス台地の崖をよ じ登ったりなど、危ない遊びも良くしていたものだ。
その後、私は鹿児島市に引越し、そこの学校に通うようになったのだが、D君 が亡くなったは、その直後のことだった。
D君の家にはキンモクセイの木があった。秋になってキンモクセイの香りが 漂ってくると、今でもそのD君のことを思い出して悲しい気持ちになる。
コメント
_ たま@無精庵 ― 2005年04月12日 20時49分
_ マナ ― 2005年04月18日 22時11分
ですのでこのニュースはかなりショックでした。
私の冒険は、せいぜい甲突川の橋の下に基地をつくることで、もちよったお弁当を
ホームレスの人に持ち去られたりしてました。魚を捕ろうとしている間に。
このほか、自転車でいっぱい遠くへ行ったり(けっこう危ないこともありました)。
それでも冒険はそれなりにいい思い出なので、複雑な気持ちです。
私の場合、死んだ友だちはいまだひとりもいません…。
_ 如比雷@ほへと ― 2005年04月26日 18時44分
野坂昭如「火垂の墓」にも妹尾河童「少年H」にも横穴で暮らすという話がある。野坂さんは神戸市東灘区、河童さんは長田区。
そして、私はその真中の(現)中央区で生まれ育ったんですが、山手女子校のグラウンドわきにそんな横穴を見つけて、毎日のように懐中電灯持って「探検」していた時期がありました。どれくらい続いたのか、今となっては定かではないが、ある日行ったら、入り口をコンクリートで塞がれていた。がっかりした。
1960年頃の話です。
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_ 404 Blog Not Found - 2005年04月12日 14時36分
もし私が辞書を書くとしたら、「人間」の定義には
笑う動物 - An animal that laughs
と書くと思います。
そして、辞書でなく百科事典だとしたら、それがどれほど艱難辛苦に満ちたものかも実例付きで。
失踪日記
とりあえず、実例の一つをここに示した上.
_ 404 Blog Not Found - 2005年04月14日 15時34分
もと歌は以下のアルバムのディスク2の最後。
Singles
「電波男」を読了したら、いても立ってもいられなくなったので。
みーさま再び失礼します。本田さん、失礼します。書評は改めて書きます。
...
_ 404 Blog Not Found - 2005年04月16日 13時52分
あのラジオライフの三才ブックスが熱い。「もえたん」、「電波男」と立て続けにヒットを飛ばしている。
とりあえず本命の「電波男」の書評を後回しにして、「もえたん」の方から取りかかる。はっきり言おう。
萌える英単語もえたん
萎えたぜ orz....
をたく
_ 404 Blog Not Found - 2005年04月18日 22時08分
きずつけたっていいぢゃないか みじゅくだもの
_ citron cervelle weblog - 2005年05月14日 00時17分
[[本編:http://www.ne.jp/asahi/citron/cervelle/soupir/2005/mars.html]]より引用
今は保安上の理由か何かで埋立地なんて見かけない.
今考えると確かに危険だけど昔は結構有ったのにね.
地面から半
ここ10年では、私よりも年長の方が二名、私と同世代の二名が亡くなっています。考えてみると、歴史とは生き延びた側が、亡くなった方を受け止める作業の連続なのかも知れません。