東日本大震災 ― 2011年03月13日
3/11 の発生当時、私はビルの9Fにある、会社にいました。いつものように揺れたのですが、遠くでの揺れを示すかのように揺れが段階的に到達してきたのに、それらがなかなかおさまらず、しかも、それが規模が大きなものでした。飛行機に乗って乱気流に巻き込まれた時のような恐怖さえ感じるものでした。
手元のパソコンのモニタが倒れるなどしましたが、とりあえずは大きな被害はありませんでした。それからすぐに大きめの余震がやってきて、それから避難することに。自分の担当するサービスなどが無事なことを確認。出張者への連絡やサーバや回線の動作確認は担当者が走りまわっていました。エレベーターは当然停止しており、階段で降りる。
ちょうど昼の休み時間、泰明小学校の前を通ったのですが、避難場所に指定されていることに気づき、「へぇ」と思った、まさにその場所に避難。近隣の勤務者、通りがかりの人、小学校の児童がたくさん。会社のみんなが集まったところで、さらに避難場所である日比谷公園に移動。ここにも多くの人が。近所の新橋駅前の様子を撮影するらしいヘリの音も。お台場では火が出てるなんて話も聞こえてくる。twitter やワンセグで状況を確認。
それから雨を避けるために安全だと思われる屋内へ移動。ここでこれから対応について各部局が打ち合わせを行い、避難は終了。私は妻と会社に戻る。
会社では通常作業にくわえて、帰宅困難者のための準備が。それらの後、私と妻、さらに遠方に住んでて帰宅が難しいであろう同僚2人と一緒に徒歩で自宅を目指す。
車道は車が溢れ、歩道は歩行者がぎっしり。安全であろう場所を選んで歩き、途中でコンビニ立ち寄って食料を確保。疲れたのとトイレ休憩のため、途中で営業続行していたうどん屋に立ち寄り、なんとか帰宅。
家に帰ったら、通りすがりの帰宅中の同僚一人も合流。 家の中はあちこちでモノが散乱。大きなところではDVDラックの棚の片側のダボが外れて中身が散乱し、スピーカーの片方が倒れていた。写真。あとは寝室等の本の山が散乱しているくらい。もとから散乱しているので、どこまでは今回の地震が原因かはわからないけど。
それらをなんとか片付け、一緒にやってきた同僚などといろいろしゃべって過ごす。一部の地下鉄は復旧したらしく、twitter などで情報を収集しつつ、同僚二人は帰宅。
私は 3/10 に鍵を受け取ったばかりの新居(近所の中古マンションを買いました)に歩いていき、様子を確認。問題はなさそうと判断。
家が無事で、電気や水、ガスが使えていることに感謝しつつ就寝。
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